呪縛

平成18年4月15日、社会保険労務士会の会合の場で、逃げているのに追いかけてこられ、人前で臀部を下から上に触られるという猥褻行為の被害を、社会保険労務士で民生委員であるI口から受けました。
その場で、警察に通報すべきだったのでしょうが、I口は古株の社会保険労務士で支部の役員もしていました。
警察に通報する勇気がありませんでした。

何より、一度目のセクハラ被害の裁判の勝訴の判決が平成18年4月6日に出ました。
相手が控訴した場合には、今度は私から止めることのできない裁判が始まります。
相手が控訴しなかった場合には、勝訴が確定です。
セクハラ裁判は被害女性にとって精神的に大きな負担が生じるものです。
一度目のセクハラ被害の件を忘れて社会保険労務士として頑張って行きたいと願い、勝訴が確定する日を楽しみにしていました。

正直なところ、そっとしておいて欲しかったのです。
もう、戦いたくありませんでした。
『泣き寝入り』を選択するとかではなく、ただ、もう戦いたくなかったのです。

今から思えば無知でした。

平成18年4月17日、S支部からI口の猥褻行為を男性の社会保険労務士が問題提起したので、被害女性に調査をするので質問に答えて欲しいと電話がありました。
社会保険労務士会だからこそ、真剣に取り組んでくれんだという甘い思い込みでした。
でも、他の女性の社会保険労務士がI口の処分を望んでいない中、私だけが強く『処分を求めます。』と言えませんでした。
思わず、「他の先生と同じでいいです。」と言ってしまいました。

別の苦しみが始まりました。
『泣き寝入り』することではなく、セクハラ裁判を提起し果敢に戦った別の被害女性の「私たちは、次をなくすために辛いを思いをしたんだ。私たちは次を無くすための役割を担っている。」の言葉が重く圧し掛かってきました。
私は彼女と約束したのです、次を無くすための役割を果たすことを。。。

被害女性が処分を求めないのならということで有耶無耶になりそうになっていることを知りました。
平成18年4月26日、一度目のセクハラ被害の裁判が相手が控訴せず、終結しました。
そして、当時のS支部の事務局長のM下にI口の処分を求める申し立てをしました。
本編に書いたことです。


社会保険労務士会には処分規程もなく、調査を行う権限もありません。
社会保険労務士法に規定されている社会保険労務士会は登録の手続きのみです。
平成18年4月17日のS支部の質問は答える必要はなかったのです。
そして、S支部はI口の処分を求めるかという質問をする権限がなかったのです。
では、何故、あのようなことが行われたのか?
今から考えると、被害女性が問題としなかったからという形式を整えるためだったのでしょう。
3年間、社会保険労務士会の会合の場で、あの時のことが忘れられていると感じ、大きな虚しさがありました。

当時もM下の発言にセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)を書面にしてS支部に提出しました。
でも、M下には罪の意識すら感じていないのがありありでした。

今でもそうです。
M下には罪の意識はありません。

少なくとも私は、セクハラの1次被害そのもので裁判をした被害女性を知りません。
セクハラの被害を『声』にしたことで更に傷つけられたこと、まるで、セクハラの被害を『声』にするのが悪いかのような対応を受けたことで裁判をしたのです。
私も一度目のセクハラ被害も、行為そのものが原因で裁判をしたのではありません。
その後の対応があまりにも理不尽だったので、裁判をしたのです。


「私たちは、次をなくすために辛いを思いをしたんだ。私たちは次を無くすための役割を担っている。」
この言葉が呪縛のようでした。

そして、私の中で、怖い自分が出来つつありました。
女性の人権のために戦う女性を否定する。
セクハラの被害を『声』にする被害女性を否定する。
セクハラや痴漢をする加害者を憎むより、その被害を『声』にする女性に対して「そんなに騒がなくても。」という自分がいるのに気が付きました。
『泣き寝入り』を選択してしまった私には、果敢に戦っている被害女性が疎ましく、まるで、私を責めているように感じました。
弱い女性を踏み台にするような人間になってしまいそうな自分自身に気付きました。

私自身がセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)の加害者になってしまう。。。私が苦しみ続けているM下からのセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)の加害者に私自身がなってしまう。。。ただ、『泣き寝入り』を選択した弱い自分を正当化するためだけに。。。


呪縛から解き放たれるのは簡単でした。
再提起したとき、大きな開放感がありました。