使命

一度目のセクハラの被害に遭った時、大きな不安の中にいました。
不安がいつまで続くのか、このまま、ずっと続くのか。。。
仕事は。。。
生活は。。。
押し潰されそうな不安の日々でした。

初めて教会を訪れた時、春の晴れた日でした。
教会は、寂しい暗い印象を受けました。

今は、雨が降り、薄暗い時でも、教会は明るく感じます。
教会だけではありません。
あの時のような寂しい暗い印象を受けることは、今はないのです。

I口から猥褻行為の被害を受け、M下からセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)を受けた後でも、戦うことを決め、辛い思いをしていても、大きな不安が襲うことはないのです。

ニ度目のセクハラの被害に、私には何の落ち度もありません。
全く悪くありません。
全て、I口の悪意で故意の猥褻行為です。
ですから、ここまで、戦うことができるのです。

多くの人に支えられていることを感じます。

牧師、教会の人達、友人、知人。。。
社会保険労務士のB先生、D先生、T先生、後輩のQ君、V先生。。。
女性の人権のために果敢に戦っている女性たち。。。

一度ならず二度までもセクハラの被害に遭ったことに意味があるとすれば、それは、私に与えられた使命=ミッションなのでは。。。

一度目のセクハラの被害の時の大きな不安を知っているからこそ、戦うことができず『泣き寝入り』を強いられ、働くこともできず、生活の困窮を余儀なくされている被害女性たちの痛みを強く感じることができます。
そして、働くことができ、仕事をすることができ、収入があるからこそ生活の不安を感じることなく楽しく送れる日々に感謝することができます。

だから、私が戦うと。
戦うことができない被害女性の分まで戦うことを決めたのです。

一度目のセクハラの被害の時の大きな不安を知っているからこそ、他の被害女性がそこから抜け出すことができず苦しんでいることが辛いのです。

そして、そんな被害女性たちを生み出した加害者が憎くて憎くてならないのです。
セカンドハラスメント(セクハラの2次被害)は加害者を擁護することに他ならないから、セカンドハラスメント(セクハラの2次被害)の加害者が憎くて憎くてならないのです。

I口の悪意で故意の猥褻行為で、私は大きな時間を失いました。
二度と取り戻すことのできない時を失いました。

私だけではありません。
他の被害女性も、大きな時間を失っています。

卵が先か、鶏が先か。。。

平成18年4月26日、M下の対応は、明らかに間違っていました。
M下が憎むべきは、I口の猥褻行為でした。
人として、社会保険労務士として、I口の猥褻行為やセクハラ行為は、M下が憎むべきものでなければならなかったのです。
社会保険労務士会もです。
I口の猥褻行為やセクハラ行為を擁護するようなM下の言動を、社会保険労務士として社会保険労務士会は憎むべきものでなければならなかったのです。

セカンドハラスメント(セクハラの2次被害)は、セクハラの被害を『声』にする被害女性を更に傷つけるだけではなく、セクハラの加害者を擁護する行為です。

『社会保険労務士の女性の人権の意識改革』
私に与えられた使命。

使命=ミッションと思うことでしか、I口から受けた猥褻行為の被害の辛さ、そして、更に傷口に塩を塗ったM下からのセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)の辛さを癒すことができないのです。

他のセクハラの被害女性を、もう、戦わせない、もう、泣き寝入りさせない。
これが、私に与えられた使命=ミッション。