支配

社会保険労務士であるI口が、人前で平然と猥褻行為を行う。
しかも、セクハラの常習犯。

民生委員であるI口が、人前で平然と猥褻行為を行う。
しかも、セクハラの常習犯。

ふと、考えます。
社会保険労務士が人前で平然と猥褻行為を行い、セクハラの常習犯なのだから、普通のサラリーマン、普通の事務職や営業職の人がセクハラ行為をするのは仕方がないのではと。。。
民生委員が人前で平然と猥褻行為を行い、セクハラの常習犯なのだから、普通のサラリーマン、普通の事務職や営業職の人がセクハラ行為をするのは仕方がないのではと。。。

何故、人を殺してはダメなのか。。。
殺人は刑事罰だからでしょうか。。。
何故、人の物を盗んではダメなのでしょうか。。。
窃盗は刑事罰だからでしょうか。。。

刑事罰で罰則がある以前に、倫理、モラル、良心に反するからではないでしょうか。

セクハラも同じです。
女性の意に反して身体に触れること、しかも、公の場では、倫理、モラル、良心に反することです。
でも、守れない人もいます。

殺人や窃盗を心の底から嫌悪しても、セクハラや猥褻行為は、軽く扱われます。


一度目のセクハラ被害のとき、大きな不安を抱えていました。
将来への不安、働くことができないことへの不安。。。毎日、不安に押しつぶされそうでした。
周りの人たちに恵まれました。
もし、あの人たちに出会わなければ、今頃、どうなっていたかと思うと、大きな恐怖となります。

I口から猥褻行為の被害を受け、もし、私が自ら命を絶っていたら娘の人生は、どうなっていたでしょうか。。。私が心を壊し働くことができずにいたら娘の人生は、どうなっていたでしょうか。。。

私が、この戦いを続けることは、I口はもちろん、M下をも追い詰めることになることは想像できます。
『別のこと』では、社会保険労務士会にも大きな打撃を与えるかもしれません。
でも、他の被害女性の苦しみを思えば、もう、被害女性を出したくないと思えば。。。戦いを止めることはできません。

『被害者は、ただそこにいるだけで災いが降りかかってくるのであって、原因は常に加害者にあるのです。』
加害者や加害者が属する組織が打撃を受けるのは仕方がないこと。
いえ、打撃を受けなければ、倫理もモラルも良心に反することを平然とできるのですから、次の被害が出ることを防ぐ有効手段の一つとして、加害者と加害者が属する組織に打撃を与えることかもしれません。
倫理やモラルや良心ではなく、打撃を受けたくないからということで次の被害を防げるのではあれば、それも一つかもしれません。

『恐怖の支配』。。。決して良いことではありません。
でも、1000の言葉よりも大きな効果があるのかもしれません。
口で説明しても理解できない、理解しようとしないのであれば、少しでも大きな打撃を与えることで、とりあえず、次の被害を防ぐことも必要です。
これを、『みせしめ』という人もいるでしょう。。。でも、1000の言葉より大きな効果があるのが現実です。

私は、怖いのです。
愛娘が被害女性になることが、愛娘の友達が被害女性になることが。。。
恐怖に支配されているのは、私なのかもしれません。
愛娘や愛娘の友達が被害女性にならなくても、他の被害女性と思いもよらない縁があったとき、戦わなかったことを後悔するでしょう。。。このことが怖いのです。
他の被害女性の苦しみを思うとき、これからも被害女性がでることを思うと、私は大きな恐怖に支配されます。


この恐怖から逃れるために、戦っているのかもしれません。。。