希望

被害者は、ただそこにいるだけで災いが降りかかってくるのであって、原因は常に加害者にあるのです。』

セクハラ自体があってはならないことで、被害女性は、ただ、そこにいただけで災いが降りかかってきました。
何故、セクハラや猥褻行為の被害に遭ったのが自分のなのかの理由も分からずにいます。
加害者に対して処分を求めたり、被害を『声』にすることまでもが非難される。。。
何故。。。という疑問が生じるばかりです。

セクハラは被害女性に原因はありません。
しかし、被害女性に原因にあるかのように無理やりこじつけます。

社会保険労務士会の会合の場、拒否の意思表示をし、逃げているにもかかわらず追いかけられてこられ、人前で臀部を下から上に触られるという猥褻行為の被害。。。服装もフォーマルなスーツ。。。被害女性の私には全く悪くない。。。と言い切れることでさえ、このような展開になるのです。。。

「男の僕から言わせると貴女が魅力的だったから。」と、被害女性に原因を探します。
本当に理不尽なことです。

被害女性に原因はありません。
そして、被害に遭った後に被害女性がどのような行動を取るかも関係ありません。
悪いのは加害者であり、悪いのは、原因は加害者にあることに視点を置く事ができずに対応したセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)の加害者と加害者の属する組織です。

ここまで言い切ることができるまで、ずいぶん長い時間がかかりました。
私は全く悪くないと言い切りながらも、猥褻行為の被害にあったことを、どこか恥ずかしく思ってしまいます。

多くの人に相談することができ、ときには愚痴っぽいことを聞いてもらうことができ、知恵を授けてもらい、力を貸してもらうことができました。
『運が良かった。』の一言です。

相談する人もなく、愚痴を聞いてくれる人がなく、知恵を授けてくれる人がなく、力を貸してくれる人もない。。。そんな状況の被害女性が心を壊すのは仕方がないことです。
心を壊し働くことができない状況をに陥ると、更に周りから働かないことを責められる。。。家族の理解も得ることができない。。。
働くことができなければ収入を得ることができない。。。収入がない。。。将来に大きな不安を感じる。。。
悪循環。。。生き地獄です。

被害女性として書いたホームページ『涼子の部屋〜セカンドハラスメント〜』の作成をD先生に報告したとき、D先生から『被害者の希望となるように。』と励ましていただきました。
『希望』という意味が、そのときはよくわかりませんでした。

『次のために』と願い、次の被害を出さないためにを願いながら、ただ、思いつくことをしている。
変える力を持った人に知ってもらう、変えようとしている人に知ってもらう、それには、まず、一人でも多くの人に知ってもらう。
何もしなければ可能性は『ゼロ』、変える力を持った人に知ってもらうことができれば、可能性は『100』になるかもしれない。
万に一つでも可能性がある。。。『希望』。。。

結果を求めるのではなく、ただ、変える力を持った人に知ってもらう。
そのために、一人でも多くの人に、 『被害者は、ただそこにいるだけで災いが降りかかってくるのであって、原因は常に加害者にあるのです。』ということを知ってもらい、セカンドハラスメント(セクハラの2次被害)が重き罪であることを知ってもらう。

被害女性は、加害者に原因があることで苦しみ続けているのです。
加害者に全ての原因があることに視点をあてることをできず対応してしまったことで起こるセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)にも、被害女性は原因がありません。
被害女性は、自分に原因がないことで苦しみ続けるのです。

変える力を持った人が、この現実を知り、被害女性が苦しみ、加害者がノウノウと生きることができる社会を変えてくれる。

ある被害女性の『今でも私だけ苦しみ続け働くこともできずにいるのに、加害者が妻子を養い続けていることが理不尽でたまらない。』の言葉。
でも、これが、被害女性が苦しまず、生き生きと働くことができ、加害者と加害者の家族が路頭に迷う社会となる日が来る。

『希望』。。。
『希望』を求めて、戦うことを決めたのかもしれません。
『希望』を求めているから、戦い続けているのかもしれません。