悪魔

私の中に、二つの人格があることを感じることがあります。
社会保険労務士としての仕事をしているとき、、娘と接しているとき、友達と話をしているとき、買い物をしているとき、聖書を読んでいるとき。。。
今、このホームページを書いているとき。。。
普段の私の人格です。
楽しいことを考えることができます。いえ、むしろ楽しいことばかり考えています。
このホームページを書いているときも、誰にも言えず一人苦しんでいる被害女性が読んで、少しでも力を感じてくれれば嬉しいのにと思いながら書いています。

でも、I口への憎しみ、M下等への憎しみで占められている別の私がいます。
憎しみだけではなく、恨み、悲しみ、辛さ、刹那さ、悔しさ、情けなさ、惨めさ。。。負の感情ばかりに支配されている人格です。
別の私は、楽しいことを考えません。
ただ、あの時の屈辱。。。絶対に忘れない。。。

被害女性が、『次のために』と願い戦うことは、加害者や加害者が属する組織にとっては、好ましいことではありません。
場合によっては、窮地に追いやることになります。

つまり、私が『次のために』と願い、被害女性が堂々と生き、加害者が生きていけない社会の構図を求めることは、加害者は。。。想像もつき、どうなるかも分かります。
でも、止めることはできません。

目撃者がいなく、周りに理解してくれる人もいなく、相談する人もなく、愚痴を聞いてくれる人もなく、一人で悩み続け、一人で苦しみ続けている被害女性がどれだけいることか。。。
働くこともできず、収入もなく、将来に不安を抱えている被害女性がどれだけいることか。。。
『次のために』。。。次の被害女性を出したくない。。。被害女性に戦うことも『泣き寝入り』もさせたくない。。。

猥褻行為やセクハラの加害者やセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)の加害者から、どう思われようと構わない。
別の私は『悪魔』で構わない。

猥褻行為の加害者のI口の誠意のない態度とM下等支部役員の対応。。。ここで戦いを止めることは、次の被害女性を生み出すこと。。。次の被害女性を出してしまう一因は私にもある。。。
そう思うと
猥褻行為やセクハラの加害者やセカンドハラスメント(セクハラの2次被害)の加害者には、『悪魔』でいい。。。

もし、娘が被害女性になったとき、私は母親として本当の『悪魔』になってしまう。。。
もし、「おばちゃん、おばちゃん」と慕ってくれる娘の友達が被害女性になったとき、私は本当の『悪魔』になってしまう。。。
今のままでは、誰かが被害女性になってしまい、セカンドハラスメント(セクハラの2次被害)に苦しむ。。。それが、分かっていて何もしないでいることは。。。そのことに気づいてしまったのに、何もしないでいることは。。。人の皮を被った『悪魔』。。。


本当の『悪魔』になりたくないから、戦うことを決めたのかもしれません。
戦い続けている間は、本当の『悪魔』にならない。。。

傍観も加害者です。